古川元久さんは、国民民主党の国会戦略の陣頭指揮をとる国会対策委員長を務めています。
12月4日に玉木雄一郎代表が3か月の停職処分を受け、代表代行を務める古川元久さんに注目が集まっています。
今回は、古川元久さんの生い立ちから現在までの経歴を調査。
政治家を目指したきっかけなども調べました。
ぜひ、最後までお付き合いください。
古川元久のwikiプロフィール
まずは古川元彦さんのプロフィールに触れておきます。
- 氏名:古川元彦
- よみかた:ふるかわ もとひこ
- 生年月日:1965年12月6日
- 年齢:59歳(2024年12月現在)
- 出身地:愛知県
- 党派:国民民主党
- 役職:国会対策委員長/代表代行(2025年3月3日まで)
- 選挙区:衆議院選挙区 愛知
- 当選回数:衆議院10回
古川元久のwki経歴
引用:www.furukawa.cc
古川元久さんの経歴を見ていきましょう。
古川元久の生い立ち
1965年、愛知県の一般的な家庭で生まれます。
決して裕福とは言えないサラリーマン家庭で、育ちました。
私の父は真面目だけれども出世とは一切無縁の万年平社員。家の生活は楽ではなく、母が内職をしてなんとか家計を支えていました。
両親が真面目に働いても楽にならない生活に疑問を感じ、社会を変えたいと思うようになったと言います。
そんな家庭に育った私は「真面目に働く人が報われる社会にしたい」と思うようになり、その思いを官僚になって実現しようと考え、当時、官僚になるには東大に入るのが最も近道だったので、東大をめざして必死に勉強し、なんとか合格することができました。
初志貫徹で1988年、東京大学を卒業。
在学中には、難関の司法試験にも合格を果たしたものの、幼いころからの想いを貫き官僚の道へ進むことを決心。
大蔵省(現・財務所)に入所しました。
アメリカ留学が人生の転機になる
在学中はバブルの崩壊直後の日本を離れて生活していた古川さん。
多くの人から「これから日本は悪くなる」と言われ、沈みゆく日本で苦労するより、安定したアメリカで生活を送ろうか?と思っていたそうです。
そんな時、霞が関ビルを設計した建築家と話をする機会があり、このように言われます。
その建築家は戦後の占領時代に留学。
豊かで安全で、かつ高度な技術を持ったアメリカ社会に感動。
「その技術を学び日本のために努力したいんだ!」と思ったそうです。
その言葉を聞き、我に返った古川元久さん。
『これから日本は悪くなる』なんて他人事のように思うのではなく、悪くならないよう自分たちが頑張らなければならない!
と、気付きこのように決心します。
これからの日本のために、官僚のように敷かれたレールの上を通るのではなく、新たなレールを敷く政治家になろう!
古川元久は衆議院選挙区 愛知で10回の当選回数を誇る
1994年、古川元彦さんは政治家を目指し、大蔵省を退官。
2年後の1996年に初当選を果たしてからは、10期連続当選を果たしています。
まさに、衆議院愛知選挙区では敵なしの無双状態です。
- 内閣官房副長官
- 国家戦略担当大臣
- 経済財政政策担当大臣
- 科学技術政策担当大臣
- 宇宙政策担当大臣
- 内閣委員長、
- 沖縄・北方問題特別委員会委員長
【現在】
- 国土交通委員会委員
- 災害対策特別委員会委員
- 国民民主党国会対策委員長
その他
2005年には世界経済フォーラム(ダボス会議)のYoung Global Leadersの1人に選出され、世界に名が知れ渡りました。
2007年、NPO法人「TABLE FOR TWO International」を設立し、先進国と途上国の食糧問題にも力を注いでいます。
また、未来を見据えた国民に寄り添う政策を立案。
最後に|古川元久は代表代行が務まるのか?
今回は、古川元久さんの経歴を中心に時系列でまとめました。
内閣官房副長官、国家戦略担当大臣、経済財政政策担当大臣など多くの重要なポストを歴任し、政治家として経験豊富な古川さん。
党の国会対策委員長として政策立案や他党との連携などの業務に携わった実績もあります。
また、玉木雄一郎さんの女性問題が発覚した時。
「ばか野郎と言った。
本当に大事な時に皆さんの期待がある時に何をやっているんだ」
引用:www.fnn.jp
と、苦言を呈しました。
このことからも党内の規律が乱れることを嫌い、統制を取ることを重視しているようです。
今後、代行とはいえ党の代表としてリーダーシップを発揮し、国民が納得できる政策を実行してくれると期待しましょう!