2024年12月6日、54歳の若さで亡くなられた中山美穂さん。
全国公演中で精力的に芸能活動をしていただけに、この訃報は日本中に激震が走りました。
芸歴40年を超え、ベテラン女優としての地位を確立していましたが、デビュー前の幼少期はあまり知られていません。
そこで今回は、中山美穂さんの生い立ちを調査。
そのエピソードが壮絶だったので、まとめました。
ぜひ、最後までお付き合いください。
中山美穂の出身地は長野県
妹・中山忍さん(左)と中山美穂さんの姉妹ツーショット写真
中山美穂さんは1970年3月1日長野県で生まれました。
の幼少期は、長野県や群馬県で過ごした後、3歳の時に母親と妹の中山忍さんと共に東京に移住しています。
そのため、プロフィール欄の出身地は東京都小金井市となっています。
中山美穂の生い立ちが壮絶すぎる!
中山美穂さんの生い立ちを調査すると、壮絶な幼少期から少女期を過ごしたことが分かりました。
そのエピソードを紹介します。
幼いときに両親が離婚
幼い頃の中山美穂さん(左)と中山忍さん(右)
母に引き取られ、妹の中山忍さんと共に東京都へ引っ越しています。
2024年現在は、シングルマザーという用語が定着しており、十分とはいえないものの保護制度もあります。
一人親世帯が注目され始めたのは1980年台といわれていて、1970年台のシングルマザーはかなり肩身の狭い思いをしました。
当時、シングルマザー生活を送った方のインタビュー記事を引用します。
「今では、バツイチやシングルマザーであることが何も恥ずかしくない、むしろ勲章。当たり前のことのように語られていますが、私が子どもを産んだ1970年代はとてもじゃないけど、人前では言えませんでした」
元夫とは、ひとり娘を産んですぐに離婚をし、ひとりで育ててきました。
「とても大変でした。特に収入面では、今と違って保障や支援などはなかったですからね。だからこそ、必死で働きました」
中山美穂さんも、母親からは「ただ東京に引っ越しただけ」とだけ聞かされていて、それ以上聞き返しませんでした。
後に、この時のエピソードを語った中山さん。
「あまりの空腹に耐えきれず、台所のお砂糖を食べていました」と答えています。
また、群馬の祖母の家や見知らぬ母の知人宅にも預けられ、落ち着かない幼少期を過ごしました。
父親のように慕っていた伯父さんとの別れ
中山美穂さんの母親は、幼い娘を育てるために昼夜働き続けたそうです。
その間、親戚の白土さんの家に預けられました。
その家で特に親切にしてくれたのは、白土家のご主人である伯父さんでした。
父親がいない美穂さんを優しく、時には厳しく父のように手をあげたこともあるようです。
そんな伯父さんですが、中山さん姉妹を預かったいる最中、若くしてお亡くなりになっています。
2010年1月22日に放送された、トーク番組「A-studio」に出演した中山美穂さんは、司会の鶴瓶さんから伯父さんのエピソードを聞かれ、涙ぐむシーンもありました。
温かく姉妹を迎え入れてくれた白土家がなかったら、国民的アイドル「ミポリン」は存在しなかったかもしれないですね。
小学校からの帰宅途中に誘拐される
2009年5月に発売されたエッセイ「なぜならやさしいまちがあったから」で綴られています。
事件は、小学校からの帰宅途中の出来事。
母の知り合いを名乗る人物から「迎えに来たよ」と言われ、車に乗り込んでしまいます。
その後、東京から3時間離れた場所に連れて行かれました。
その後、東京に戻ると、何台もパトカーが待機していたのを見て「自分は誘拐されたんだ」と始めた気付いたそうです。
結局、何もされず無事に帰ることができましたが、「もしかしたらあの時、命を失っていたかもしれない」と思うようになり、心に傷を残すことになりました。
最後に|中山美穂の壮絶な生い立ちエピソード!
今回は、中山美穂さんの生い立ち(幼少期)を調査しました。
1982年、中学1年生の時、原宿でスカウトされ芸能界入りした中山美穂さん。
歌手志望の夢を持っていた母の再婚相手である父から「お前が先に芸能界に行くのか!?」と言われたエピソードは有名な話です。
その後は、ドラマに映画、CMや雑誌撮影などで瞬く間にトップアイドルへと駆け登っていきました。
また、歌手としても才能を発揮し、「ツイてるねノッてるね」「WAKU WAKUさせて」など。
1980年台で1、2を争うアイドルシンガーとしても活躍しました。
2002年の結婚を機に芸能活動を一時休止。
長男出産後は少しずつ活動を始めるも、2014年の離婚を経て日本に拠点を移し本格始動しています。
2020年以降も、全国コンサートツアーやファンミーティングなど、積極的に活動。
亡くなられた2024年12月6日も、ビルボードライブ大阪でコンサート公演が予定されていました。
筆者も中山美穂さんのアイドル時代を見て育った一人として、ショックでなりません。
最後になりましたが、中山美穂さん!
天国でもたくさんのファンを作って、笑顔を届けてください。
ご冥福を心からお祈りいたします。