【時系列まとめ】中山美穂と元旦那・辻仁成の出会いから離婚まで!エピソードも調査!

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中山美穂さんは、1982年に原宿でスカウトされ事務所入り、現在までアイドルや歌手だけでなく女優としても活躍を続けてこられました。

2002年10月から2005年6月までの間だけ、結婚と出産のため芸能活動を休止。

その後も日本とパリを往復しながら仕事を続けるも、離婚を期に本格的に芸能活動を再開しました。

そこで今回は、中山美穂さんと元旦那・辻仁成(ひとなり)さんとの出会いから離婚までを調査。

経緯やエピソードも紹介します。

ぜひ、最後までお付き合いください。

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目次
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中山美穂と辻仁成の出会いから離婚まで

引用:www.sponichi.co.jp

中山美穂さんと辻仁成さんは、2002年6月に結婚し、2014年に離婚が成立しています。

2001年7月、初めての出会い
2001年10月、雑誌対談
2002年6月、結婚
2004年1月、長男を出産
2005年6月、日本の芸能活動復帰
2014年7月、協議離婚が成立

次からは、時系列で紹介していきます。

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中山美穂と辻仁成の出会いはパリの空港

中山美穂さんと辻仁成さんの出会いは2001年7月、パリのシャルル・ドゴール空港での偶然の出会いから始まりました。

その当時のことを辻仁成さんはこう語っています。

「わずかに数十秒の一方的な出会いであったが、その佇(たたず)まいや雰囲気にしっかりとした意志と力強い存在感が表れていた」

引用:www.sponichi.co.jp

辻仁成さんの一目惚れだったようですね。

2001年10月には、雑誌の対談で再会。

辻さんからの第一声「やっと会えたね」と言ったことが印象的でした。

ぶんたそ

この対談は、辻さんからのリクエストがあって実現したみたいよ。

彼女も対談を続けるうちに、「もしかしてこの人がパートナーなのでは」と思ったという。

引用:www.jprime.jp

中山美穂さんもまんざらな様子ではなかったようで、この番組で意気投合。
交際に発展しました。

また、中山さんは結婚後、このようにインタビューで答えています。

中山は後に「私の一目ぼれだった」と話しており、双方とも運命を感じていたようだ。

引用:www.sponichi.co.jp

ぶんたそ

二人とも一目ぼれって!
もう、結婚するしかないって感じね。

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中山美穂と辻仁成は2002年6月に結婚

結婚後、間もない中山美穂さんと辻仁成さん

この運命的な出会いから1年も経たたない2002年6月、二人は結婚しました。

辻仁成さんに、2回の離婚経験があることに周囲は反対したようですが、中山さんの熱は冷めることはありませんでした。

結婚後、中山美穂さんはパリに移住し、芸能活動を休止して家庭に専念。

パリ移住に関して中山さんは当時、インタビューでこのように語っています。

当時を、デイリースポーツのインタビューで「正直、大変でした」と振り返り「私はとにかく、女性として、普通に、穏やかに生きたかったんです」と真意を明かしていた。

引用:ww.daily.co.jp

長男を出産

2004年には長男「十斗(じゅうと)」さんを出産し、家族としての生活を築いていきました。

中山美穂さんの長男については、こちらでまとめています。
【中山美穂の長男はパリ在住!しっかり者の大学生】

芸能活動復帰

中山美穂さんは2005年6月、産後の落ち着いた段階を見計らい、キリンビバレッジ「茶来」のCMで3年ぶりにメディア出演しました。

「ただいま」というセリフが印象的でしたね。(^^

その後は、生活の中心はパリにおき、仕事にために日本へ来るという生活を続けてきました。

帰国の際に「自分が芸能人だったことを思い出されて、そっちの方が意外な感じ」と言うほど、どっぷりとパリでの生活になじんでいた。

引用:ww.daily.co.jp

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中山美穂と辻仁成の離婚の経緯

引用:www.nikkan-gendai.com

中山美穂さんと辻仁成さんは、2014年7月に協議離婚が成立しています。

息子・十斗さんの親権を辻仁成さんが持つという条件をのむ形での離婚でした。

なぜ離婚に至ったのでしょうか?

その原因を見ていきましょう。

夫・辻仁成のファッションの変化

結婚後ほどなくして、辻仁成さんは外見や生活スタイルを大きく変え、中性的なファッションを好むようになりました。

上の写真を見比べると、天然パーマでくせ毛だった髪をストレートにし、ヒゲもきれいに処理されているように見えますね。

辻が09年頃から女性のようなロングヘアにするなど外見が大きく変貌し“中性化”したことが、夫婦間に亀裂が生じた理由。

これについても、中山は「夫婦ですからいろいろあります」とした上で、「(中性化が)その中のひとつの原因ではあります」と認めた。

引用:www.sponichi.co.jp

また、別の記事によると。

離婚については「お互いが何かを我慢しながらこれからずっと生きていくのは無理」だと思うようになり、「子どもを理由にパートナーシップを続けていくというのも、誰にとってもプラスとは思えなかった」と打ち明けた

引用:www.cinematoday.jp

中山美穂さんは、辻仁成さんの変化についていけなくなっただけでなく、
すでに夫婦生活は崩壊していたようです…。

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中山美穂の病気の悪化

中山美穂さんは長年、子宮筋腫を患っていました。

離婚当時はその症状が限界に達し、満身創痍の状態で日々の生活を送られていたようです。

後のインタビューではこのように答えています。

離婚に至った理由として「長年患っていた子宮筋腫の状態が限界に達していた」

引用:www.oricon.co.jp

日本に戻って、整った環境で治療に専念したいという思いもあったのかもしれません。

中山美穂の浮気

離婚当時、中山美穂さんと辻仁成さんの第一の離婚原因として、中山さんの浮気であると報道されていました。

お相手は、音楽家・渋谷慶一郎さんであると言われています。

理由は離婚後、オープンに恋愛関係を公表されていたからです。

中山さんが子宮筋腫と闘っていた時期、渋谷さんが治療方法やメンタルケア、手術の手配などをしてくれました。

また元の生活に戻り同じことを繰り返すことは考えられなくなってしまった。

引用:www.oricon.co.jp

と語る中山さん。

この時すでに離婚の意思は固まっていたようです。

報道では、中山美穂さんの浮気が原因と言われていましたが、調べてみるとそれまでにもいろいろな要因が重なり離婚に至ったということが分かりました。

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中山美穂は辻仁成の3人目の妻

中山美穂さんは辻仁成さんの3人目の妻です。

ここでは辻さんの結婚歴について、触れていきます。

一人目の妻:一般人

辻仁成さんは1979年、最初の妻と結婚。

一般人なのであまり情報はありませんが、カメラマンの女性で大阪で活動していた頃に知り合い、同棲し結婚へと発展したといわれています。

離婚の時期も不明で、最初の妻との間に子供はいないようです。

二人目の妻:南果歩

南果歩さんと息子夫婦

辻仁成さんの二人目の妻は、女優の南果歩さんです。

ふたりは1995年に結婚しました。

結婚のエピソードについて南果歩さんは、2019年3月放送の「ダウンタウンなう」でこのように語っていました。

結婚願望が全くなかったが会うときは必ず花束をプレゼントする辻さんにプロポーズされすんなり結婚しました。

引用:hochi.news

二人の間には、1995年生まれの一人息子・依岐(いぶき)さんがいます。

出産は壮絶を極めたようで、妊娠9か月目で妊娠中毒症を患い帝王切開。

2110gで生まれてきた息子とは、母子ともに生死を彷徨いました。

時は経ち、依岐さんはサンフランシスコのアカデミー・オブ・アート大学でBFA(学士・美術)を取得しています。

現在は、結婚し子宝にも恵まれ、幸せに暮らしています。

3人目の妻:中山美穂

辻仁成さんの3人目の妻が、中山美穂さんです。

2002年から2014年、12年の結婚生活を送りました。

また、息子・十斗さんの親権は辻さんが持つことが離婚の条件でした。

ブログには「ぼくと生きたいと望んでくれた息子の気持ちにこたえられるよう、父親としても頑張りたいと思います」と記した。
辻は2000年に前妻南果歩(50)と離婚した際、南との間にもうけた長男の親権を渡したことを後悔していた。そのため、中山に対し、親権を持つことを主張したとみられる。

引用:www.sponichi.co.jp

辻仁成さんは、子供の親権だけは譲りたくなかったようですね。

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最後に|中山美穂と辻仁成の出会いから離婚までまとめ

今回は、中山美穂さんと辻仁也さんの出会いから離婚までを調査しました。

辻仁成さんは、2014年のインタビュー記事でこのように答えています。

「あの時、あの瞬間、気がつかなかったのか、気がついてやれなかったのか、という激しい後悔が打ち寄せた。夫であり、父親であった自分の責任を思った
実際、感謝しかなかった
「このような結果になった現在も、この十二年間への、ありがとう、の一言しかない。三人で、共に手を合わせて頑張ってきた、いい思い出のほうが圧倒的に多いのだから……」

引用:lite-ra.com

また、2024年12月8日に自身のブログを更新。

某月某日、不意の悲しい知らせがあり、昨日は日記をお休みして、一日、祈っていたのである。
そして、息子のことが心配なので、昨日はずっと息子君に寄り添っていたのだ。
だから、365日、一度も休んだことがなかった日記が書けなかった。
できれば、みなさん、息子も頑張っているので、そっとそっと、見守ってやって頂けると、まじで、父ちゃんは嬉しいのである。※ よろしくお願いいたします。
ぼくの母さんが言いました。
「ひとなり、辛い時は、じゃんじゃん炒めて、がんがん食べなさい」
昨日は、たくさん話をしたあと、息子と食事をし、母がぼくに託したこの言葉を伝えたのでした。
はい、昨日、父ちゃんが見上げていた、ノルマンディの空です。どうぞ、、、、

家族の関係は壊れていても、絆はつながったままだったようですね…。

最後になりましたが、中山美穂さんのご冥福を心からお祈りするとともに、パリで暮らす辻ファミリーの活躍と幸福を切に願います。

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