1980年代のアイドル時代にあらわれ人気を独占。
40年以上芸能界をけん引し続け、2024年12月6に「54歳」の若さでこの世を去った中山美穂さん。
今回は、そんな中山さんのデビュー前から支えつづけた家族について調査しました。
また、エピソードも紹介しております。
ぜひ、最後までお付き合いください。
中山美穂の3人の父親
中山美穂さんには、父と呼べる人物が3人います。
- 一人目:実の父親
- 二人目:育ての父親
- 三人目:義理の父親
一人ずつ紹介していきます。
1人目の父:実父
中山美穂さんの1人目の父親は、「実の父親」です。
名前や顔写真もなく、ほぼ情報がありませんでした。
中山さんは長野県で生まれ、3歳の時に両親は離婚。
その後、母親に引き取られて東京へ引っ越しています。
母からも実父のことはあまり聞かされず、中山さん自身もあまり気に留めていなかったようです。
母親からは、中山が3歳の頃に生まれたばかりの妹と、長野の小さな町から上京したとだけ聞かされていた。戸籍に父親の名は無く、実父の記憶がかすかに残っている程度だった。
引用:Wikipedia
1970年当時のシングルマザーは、世間の認知度も低く、現在よりも保護制度もほぼない状態でした。
そのような時代のなか、母と子供2人での生活は苦労の連続だったようです。
2人目の父:育ての親
中山美穂さんの2人目の父親は、「育ての親」である伯父さんです。
伯父さんは、中山美穂さんと妹・忍さんをわが子のように接してくれました。
離婚後、働きづめの毎日を送る美穂さんの母親に「子供に罪はない!」と言って、預かった姉妹を親身に接し、時に厳しく叱ってもくれました。
トーク番組「A-studio」に出演した中山美穂さんは、このエピソードをかたり涙が止まらなくなるシーンも。
すべてがいい思い出になっているようですね。
3人目の父:義父
中山美穂さんの3人目の父親は、12歳の時に母と再婚した「義理の父」です。
義父も母と同じく秋田県出身で、歌手を目指し上京していました。
「敏いとうとハッピー&ブルー」というムード歌謡グループに入る予定だったものの、直前で辞退。
そのことを後から後悔していたようです。
ミュージシャン志望だった義父は、中山さんが芸能界デビューが決まった時「おまえが先に芸能界に行くのか!?」と驚かれたそうです。
もう一人の育て親:芸能界の父
中山美穂さんにはもう一人、大切な育ての親がいます。
その方は、中山さんを原宿でスカウトした所属事務所「ビッグアップル」創業者の山中則男さんです。
スカウトした後日、改めて面会した時の中山さんの情熱に心を打たれて事務所を創設。
アイドル時代をけん引した中山さんですが、デビュー当時はオーディッションを受けては落ちるという日々を過ごしました。
それでも決してあきらめることはなかった中山美穂さん。
そんな当時の中山さんのことを芸能界の親・山中則男さんはこう振り返ります。
『毎度おさわがせします』が決まるまでにはそれこそオーディションには何度も落ちまくっていました。それでも本人が決してデビューを諦めなかったのは、“お父さん、お母さんに立派な家を建ててあげたい”という明確な目標があったからでした。
とても芯の強い、親孝行のお嬢さんでした。“育ての親”なんて言って貰えて私は今も感謝しています。
彼女はとても大切な宝物でした。
中山美穂の母親
母はFNS歌謡祭で目撃されています。
娘の雄姿を見るため、駆けつけていたようです。
中山美穂さんの母親は、秋田県出身。
結婚して長野県に移住したと言われています。
離婚後は、長年シングルマザーとして美穂さんと忍さん姉妹を育て上げました。
中山美穂さんは中学校1年生の時に、原宿でスカウトされて芸能界入りしています。
事務所に所属するも、最初はオーディションに落ち続ける日々を過ごしました。
実際に、都内に両親のために立派な家を建てています。
両親の現在
中山美穂さんの両親は、母の生まれ故郷である秋田県でイタリアンレストラン「バルパサポルテ」を経営。
地元では有名店として知られています。
中山さんは当初、お金の管理を母に任せていました。
ところがある日、そのお金がほとんど残っていないことを知ると、今後は自分で管理すると伝えます。
現在は秋田の飲食店も他人に譲って経営からは足を引いており、三鷹の家も売却。
その後の足取りをたどることができませんでした。
中山美穂の妹
中山美穂さんの妹は、同じ女優として活躍する「中山忍」さんです。
美穂さんは忍さんを「ぶーちゃん」と呼び、幼いころからの仲良し姉妹です。
幼いころは姉の後ろをついて回り、美穂さんがこぐ自転車の後ろにまたがって一緒に「ピンクレディー」の曲をよく歌ったそうです。
美穂さんが結婚し、パリへ移住してからも何度も足を運んで姉妹の絆を深めました。
また、忍さんがピンチの時には美穂さんが助けてくれました。
中山美穂の弟
中山美穂さんには、弟「中山智明」さんがいます。
母の再婚後に産まれ、12歳年下の弟です。
- 名前:中山智明
- 読み方:なかやま ともあき
- 生年月日:1982年6月11日
- 出身地:東京都
- 血液型:B型
- 身長:171cm
引用:X
大学は、米国カリフォルニア州立大学フレズノ校出身。
オダギリさんとは先輩後輩の関係で、現在でもフットサルを一緒にする関係のようです。
卒業後は、よいこの有野晋哉さんがメインパーソナリティを務めるゲームバラエティ番組「ゲームセンターCX」のADやAPを歴任。
歌が上手で、番組内でオリジナル曲「ラストコンティニュー」を歌い、楽曲はダウンロード可能、カラオケJOY SOUNDにも収録されています。
制作会社を退社した現在は、妻子と共に北海道へ移住しています。
最後に|中山美穂の3人の父親と実家の家族を調査!
今回は、中山美穂さんの実家の家族について調査しました。
調査を進めると、3人の父親と芸能界の父親。
幼少期から壮絶な人生を一気に駆け抜けた中山美穂さん。
家族以外にもさまざまな人に支えられてきたことでしょう。
礼儀正しく丁寧な言葉使いで対応することで知られていますが、多くの方へ感謝の気持ちを忘れないという信念だったのかもしれません。
最後になりましたが、中山美穂さんのご冥福を心からお祈りいたします。